バッドランズ
1959年、サウスダコタ州の小さな町。15才のホリー(シシー・スペイセク)は、学校ではあまり目立たないが、バトントワリングが得意な女の子。ある日、ゴミ収集作業員の青年キット(マーティン・シーン)と出会い、恋に落ちるが、交際を許さないホリーの父(ウォーレン・オーツ)をキットが射殺した日から、ふたりの逃避行が始まった。ある時はツリーハウスで気ままに暮らし、またある時は大邸宅に押し入り、魔法の杖のように銃を振るっては次々と人を殺していくキットの姿を、ホリーはただ見つめていた―。
1950年代末アメリカ、ネブラスカ州とワイオミング州で約2ヶ月間に11人もが殺害された連続殺人事件。罪を重ねながら逃避行を続けた犯人のチャールズ・スタークウェザーとその恋人キャリル・アン・フューゲートはまだ十代だった―。全米を騒然とさせたこの事件を基に、クレジットなしで参加した『ダーティハリー』(71)ほか数本の脚本を手掛けたのみだった当時無名のテレンス・マリックが脚本・製作・監督を兼任した『バッドランズ』(73)は、後の『天国の日々』(78)と『シン・レッド・ライン』(98)によって巨匠の地位を確立し、『ツリー・オブ・ライフ』(11)でカンヌ映画祭パルム・ドールを受賞したマリックの監督デビュー作であり、現在では米国国立フィルム登録簿へ保存されるなどアメリカ映画史上の最重要作の一本と見なされる作品。70年代当時、日本では劇場公開が見送られ、1980年5月、TVの深夜映画枠で『地獄の逃避行』の邦題で初放映され、スクリーンに映し出されることはなかった。アメリカ公開からすでに半世紀以上を経たいま、もっとも劇場公開が待たれていた傑作が遂に日本初公開となる。
ジェームズ・ディーンに憧れる殺人犯キットと恋人のホリーは、アメリカン・ニューシネマの先駆け『俺たちに明日はない』(67)のボニー&クライドのように指名手配され、警察に追われるが、ホリーの目を通して描かれる犯罪の数々は、緊張感や現実感が希薄で、夢の中の出来事のようだ。永遠に続くかに思われる夕焼けや、青空へ舞いあがる赤い風船、はためくワンピースの色に彩られた、電気椅子まで続く虚ろで美しい日々。童話やおとぎ話を思わせる不思議な世界で繰り広げられるふたりの逃避行は、まばゆい陽の光と雄大な自然の中で鮮烈かつ詩情豊かに描かれ、アメリカ中西部の失われた風景を記録したロードムービーとしても傑出している。
キットを演じるのは後に『地獄の黙示録』(79)に主演するマーティン・シーン。ホリー役に『キャリー』(76)でタイトルロールを演じたシシー・スペイセク。そして、ホリーの父親役を『デリンジャー』(73)の名優ウォーレン・オーツが演じている。作品の抒情性を際立たせるのが、マリンバの音色が優しく印象的な本作のテーマ曲、ドイツ著名な作曲家カール・オルフによる「ムジカ・ポエティカ」。本作の大ファンだったトニー・スコット監督は、自作『トゥルー・ロマンス』(93)でこの楽曲を引用している他、『スリー・ビルボード』(17)のマーティン・マクドナー、『ムーンライズ・キングダム』(12)のウェス・アンダーソン、『リバー・オブ・グラス』(94)のケリー・ライカートら気鋭の監督たちにも本作は大きな影響を与えている。
銃声が轟き、無意味な殺生が繰り返される荒涼たる大地―バッドランズ。銃を手にその地を駆け抜けるふたりの姿は、今なお絶望的なまでにロマンティックだ。
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