聖なる犯罪者
好きなのか嫌いなのか、判断に迷う作品です。善と悪、聖なるものと罪を犯したもの、救いと赦し...難解になりがちなテーマですが、息をつかせぬストーリーの展開で、観るものを惹きつけたまま、怒涛のラスト。ラストをどう解釈すればよいのか、余韻がすごくて、観た後数日経っても、考えてしまいました。
そもそも、信仰ってなんなんでしょうか。世界各国で問題となっている聖職者のセクハラ問題も然りですが、たとえ(どのような宗教のものであっても、神や教えを信じる)信仰が尊いものであったにしても、聖職者だって私たちと同様に人なわけで、、、。
セクハラをしているような聖職者と、前科があって聖職者になれないけれど人の痛みがわかり他者に慕われるダニエルのような聖職者じゃない人は、どちらが尊いのでしょうか。媒体(ミディアム)としての、聖職者の意義ってなんなのでしょうか。過失で人を殺めた人の罪は、単に不運だっただけなのか、それともやっぱり罪なのか。罪を犯した加害者に寄り添うのは、正義なのか、罪悪感なのか。そういった答えが出ないいろいろなことを考えさせられました。
原題の『Boze Cialo』は、神の体という意味で、ポーランドで信仰されているキリスト教(信者の9割以上がカトリック信者)では、キリストが最後の晩餐で、キリストの代わりとして「パンとワイン(身と血)」を勧めたことからパンとワインが聖餐とされ、それが儀式化し、礼拝の最後で司祭から与えられるホスチア(紙のような薄いパンのようなもの)が「聖体」となったようです。
キリストの体を食べること、つまり自分の体内にキリストを入れるということが、宗教的にどういう意味を持つのか、どういう解釈となっているのか、その辺はキリスト教信者ではない私にはわかりませんが、そこがわかるともっと本作品を観る深さも違うのかもしれません。
本作品は、ポーランドの映画です。ポーランドと聞くとアウシュビッツを思い起こされる方も多いと思いますが、私がこれまであったことのある若いポーランド人みんなパーティ好きで、本作品でもそんな現代のポーランドの若者の姿が垣間見えました。
とにかく、善と悪というような相反するもの、通常は反対にあると思われるものを、一人の若者が抱えている姿を演じた主演の役者の凄さを見るだけで見る価値があります。ぜひ劇場にてご鑑賞くださいませ。
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