夜明け前のうた 消された沖縄の障害者
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日本
原義和
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2020 原義和


夜明け前のうた 消された沖縄の障害者

1960年代の沖縄 障害者が隔離された現場の写真 入手したジャーナリストが明らかにする日本国家の罪



知られざる沖縄の犠牲

『一部の犠牲はやむを得ない』…これは日本国家の根幹にあり続けている考え方です。 戦後、サンフランシスコ条約によって沖縄を日本から切り離したことは、その象徴と言えるかもしれません。その後の米軍基地の沖縄への集中も同じです。その考えは地域社会においても、日本の隅々まで貫かれてきました。

私宅監置。1900年制定の法律に基づき精神障害者を小屋などに隔離した、かつての国家制度です。精神障害者を犠牲にし、地域社会の安寧を保とうとしてきたのが日本です。1950年に日本本土では禁止になったこの制度は、沖縄ではその後1972年まで残りました。やむを得ない犠牲として沖縄を見限った、日本国家の考えそのものと言えます。

隔離の犠牲者は人生を奪われ、尊厳を深く傷つけられましたが、公的な調査や検証は行われていません。傷つけられた魂は天に昇ることができず、今もこの世を彷徨っていると思います。家族の恥、地域の恥、ひいては日本の恥として闇に葬られてきた歴史です。本当に恥ずべきは、隠し続けることではないでしょうか。

この映画は、小さくされ、犠牲を強いられたごく一部の人びとのことを、あえて見つめる映画です。犠牲になってもやむを得ない命は無いからです。闇の歴史と向き合うことで、初めて開くことのできる光の地平があると信じます。

なぜ、歌っていたのか

10数年にわたって私宅監置されていたある女性は、よく歌っていたと言います。監置小屋の中で、歌を通して、彼女に一筋の救いの光が訪れていたことを願わずにはいられません。 今なお、居場所がなく孤立している精神障害者は大勢いますが、それは私宅監置の過去と地続きです。形を変えた私宅監置は至る所にあります。過去の過ちを検証し、犠牲者に謝罪し、償う。そこから出発しない限り、日本は永久に確かな未来を開くことはできない…。耳を澄ますと、犠牲者の歌が聞こえてきます。