MEMORIA メモリア
Memoria
G
コロンビア・タイ・イギリス・メキシコ・フランス・ドイツ・カタール合作
アピチャッポン・ウィーラセタクン
ティルダ・スウィントン、エルキン・ディアス、ジャンヌ・バリバール 、フアン・パブロ・ウレゴ
オフィシャルサイト
Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF/Arte and Piano, 2021.


MEMORIA メモリア

うーん、うーん、うーん…..。ティルダ・スウィントン主演でカンヌ受賞作の本作、とっても楽しみにしていたんですけど、えっと、その….うん、ハッキリ言いましょう。よくわからなかったです。

わからないなりに、なにかしら感じるものがあるのかしら、と途中眠くなりながら必死に状況を把握しようとするも、クライマックスのあのシーンで、いや、もう考えるのを放棄しました。

途中眠くなりながら、と書いたけど、寝ちゃってたよね、多分。不眠症の人が観ても寝るんじゃないだろうかと思ってしまう。(でも、音で起こされるけど)

音の使い方はすごい。そして、絵は綺麗。本当に美しい。大のロングショット好きとしては、そこは全く問題ない。そして、音楽が一切ない中で、映画という動画の作品で「(静寂を含む)音」で表現する凄さ。映画というより、映画の形をとったゲージュツですよ。

タルコフスキーの『惑星ソラリス』とか、ヨハン・ヨハンソンの『最後にして最初の人類』とか、エンターテイメントとしての映画ではなく、人類とか宇宙とかジャーニーしちゃうゲージュツ。そういえば、『最後にして最初の人類』も、ティルダ・スウィントン(ナレーション)でした。



知り合いの知り合いの映画ツウ曰く、「この映画は理解しようとしてはダメなんです。感じないと。」ですって。みなさま、そういうことで、

音を感じて、
自然の風景を感じて、
ティルダと一緒にスピリチャルなジャーニー
それは、ヒーリング


いけない。わけわからなすぎてポエマーになってしまいました。



わからない、わからないと申しておりますが、わからないことはダメなことではなないのです。私はよくわからないけれども、禅寺が大好きなのです。そして、私にとって本作は禅寺のような作品でした。

道端に落ちている石にも心があるという教えがある禅の世界。石の心といえば南禅寺の如心庭、そして、15の石で禅の心を、世界を、宇宙を表している龍安寺の石庭。その龍安寺の石庭、15あるはずの石が、縁側のどこから眺めても14しか石は見えないのですが、そこから解釈できることは、「見えないからない」のでなく、見えなくても石はある、ということを気づかせてくれたり、物理的な「目」で見るのではなく、「心眼(心の目)」で見よということだとかで、禅の教えそのもの。

ついでに、龍安寺にあるつくばいには、「吾唯知足(われただ足るを知る)」と書いてあります。「吾唯知足」とは、つまり「(ないものを不満に思うのでなく、あるもので満足すれば)全て足りている、って思うことができて、平穏な心でいれるよね」っていうお釈迦さまの教え。

『MEMORIA メモリア』も、そんな釈迦の教えを胸に、わかるところだけわかればいいのです(きっと)。そして、禅寺の石庭を眺めているような気持ちで、理解しなくていいので、感じてください。

ティルダと一緒にスピリチャルなジャーニーできます!



ティルダ・スウィントン、スペイン語うまかった(と、思う)