タゴール・ソングス
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佐々木美佳
オミテーシュ・ショルカール、ブリタ・チャタルジー、オノンナ・ボッタチャルジー
オフィシャルサイト


タゴール・ソングス

激動のインドを生き抜いた詩人・タゴール 彼の創った歌は時を超え、ベンガルの人々と共に生き続ける

非西欧圏で初めてノーベル文学賞を受賞したラビンドラナート・タゴール。イギリス植民地時代のインドを生きたこの大詩人は、詩だけでなく歌も作っており、その数は二千曲以上にものぼります。「タゴール・ソング」と総称されるその歌々はベンガルの自然、祈り、愛、喜び、悲しみなどを主題とし、ベンガル人の生活を彩りました。そしてタゴール・ソングは100年以上の時を超えた今もなお、ベンガルの人々に深く愛されています。なぜベンガル人はタゴールの歌にこれほど心を惹かれるのでしょうか。歌が生きるインド、バングラデシュの地を旅しながらその魅力を掘り起こすドキュメンタリー。



国境や民族を越えた普遍性を持つ歌のちから日本人の風土や郷愁にも通ずる、タゴール・ソングの魅力

監督は佐々木美佳。若干26歳、ドキュメンタリーの制作自体が今回初めての佐々木監督は、ドキュメンタリーの制作自体が今回初めての佐々木監督は、東京外国語大学在学中にベンガル文学に魅了され、その文化を知ってゆく過程でタゴール・ソングと出会いました。アカデミックなアプローチとは全く異なるドキュメンタリーという手法によって、過去と現在、さまざまな人々を繋ぐ“歌”の真の姿に迫る重層的な作品に完成させました。

日本人にとってはるか遠いベンガル地方で生まれた歌なのにも関わらず、タゴール・ソングは懐かしくも新鮮に心に響きます。唱歌や演歌のようなクラシックでスタンダードな歌でありつつ、瀧廉太郎の抒情性、宮沢賢治の荘厳さ、中島みゆきの気高さ、ブルーハーツの激情を併せ持ったような、国境や民族を越えて、今を生きる全ての人々に伝わる普遍性を持つ歌なのです。



ラビンドラナート・タゴールとタゴール・ソング

1861年、インドのコルカタに生まれる。8歳から詩作を始め、文学者のみならず、音楽家、教育者、思想家、農村改革者として、どの分野においても天才的な偉業を残した。1913年には詩集「ギーターンジャリ」によってアジアで初めてノーベル文学賞を受賞。ベンガル文学界の5大人物のうちの一人とされ、死後もなおベンガルの文学・芸術界に大きな影響を与え続けている。 タゴール・ソングは、彼が生涯にわたって作り続けた歌の総称で、その数は二千曲を超える。歌のテーマはベンガルの自然、祈り、愛、感情、民族、祭りなど多岐に及び、タゴール・ソングはインド、バングラデシュ両国の国歌として用いられている。ベンガルではタゴール・ソングを歌うことで身を立てる歌手がおり、習い事としてタゴール・ソングを習うことはごく一般的であり、今も広く聴かれ、歌われている。

ベンガル:ベンガル湾の頂点に位置するインド亜大陸の東部に位置し、ラビンドラナート・タゴールの母語であるベンガル語が話されている地域。ベンガルは、1947年のインド独立後、コルカタ(旧・カルカッタ)を中心としたインド東部と東パキスタンに分割された。1971年のバングラデシュ独立戦争により、東パキスタンはバングラデシュとして独立した。 現在、ベンガルはインドの西ベンガル州とバングラデシュに分かれている。



佐々木美佳監督より

日本で暮らしている方にとって、「ベンガル」とはどのような存在なのでしょうか。インドの一つの州、またはバングラデシュという国を思い浮かべるかもしれません。「これから発展していく国」としての希望的観測を持つ人もいるでしょう。その一方で、「貧困」「政治的混乱」という負のイメージも同時に強くつきまとっています。2016年の7月1日に発生したダッカ人質事件では日本人7名が犠牲となり、日本に大きな衝撃が走りました。連日報道されたニュースで、バングラデシュは危険な国として人々は記憶することとなります。

私たちが暮らす日本にも、多くのベンガル人が暮らしています。身近な隣人である彼らを、「危険」で「貧しい」国から来たと人だと、あなたは考えてしまってはいないでしょうか? 「ベンガル」から来た人々の心には、ベンガルが生んだ世界詩人、タゴールが作った歌が生きています。ベンガル人の喜びや悲しみを歌い、なぐさめ、寄り添い、励ましてくれています。祭りの日にはベンガル人が集まって、タゴールの歌を歌ったり、聞いたりします。「タゴール・ソング」の世界を母語として楽しめるベンガル人が、私は羨ましいと思っています。

近くて遠い「ベンガル」の、豊饒な歌の文化を、ドキュメンタリーを通して身近に感じてもらいたいのです。私たちが日本語のあの歌を口ずさむように、彼らもまた、今、どこかで、「タゴール・ソング」を口ずさんでいます。