罪と女王
Dronningen
R15+
デンマーク・スウェーデン合作
メイ・エル・トーキー
トリーヌ・ディルホム、グスタフ・リン、マグヌス・クレッペル、スティーヌ・ジルデンケルニ
オフィシャルサイト
2019 Nordisk Film Production A/S.


罪と女王

北欧映画ってすごい、、、です。昨年公開の『ボーダー 二つの世界』(スウェーデン・デンマーク合作)もどうレビュー書いていいものか悩みましたし、今年公開された『ミッドサマー』(アメリカ・スウェーデン合作)のレビューも全くレビューにならないレビューとなってしまい、、、北欧映画のレビューをちゃんと書けてませんが、レビューを書きづらいからといってダメな映画かというとそうではなくて、むしろものすごいインパクトのある忘れられない、どれもすごい映画なんです。



そんな一癖も二癖もある北欧映画ですが、今回上映するのもアクの強い作品です。『ボーダー」とも『ミッドサマー』とも違うタイプですが、かなり衝撃的で、観ていて、何回か「えっ?」って声出しそうになりました。(もしかしたら、気づいていないだけで、声出ていたかもしれません)。「えっ?(そこで、それ、やる?)」とか「えっ?(そ、そ、そんなぁ)」とか「えっ?(マジで??)」的な「えっ?」なんですが、そんな人間の邪な嫌な部分にフォーカス当てなくても、と観終わって暗くなってしまいました。



この作品で一体何を訴えたかったのか、わからなくなったので、監督のインタビューを読みました。(一部がこちらでご覧頂けます)衝撃的な作品ですが、その衝撃の裏にある背景に目を向けると、すごく深い作品だとわかり、いろいろ考えさせられました。



以下、映画の内容に触れますので、まだご覧になってない方は、映画をご鑑賞の後にお読みください。











主人公のアンネは社会的な弱者を守る立場の大人の女性で、グスタフはまだ未熟な未成年の青年。その二人が一線を越えた場合、性別が逆の(中年の男性と未成年の女の子である)場合と、人々が受ける印象が違います。中年の男性が少女をたぶらかし、その後少女がそのことで傷ついたとすれば、男性は加害者、少女は被害者という構図がはっきりとします。けれど、未成年である被害者が青年だった場合は、「経験豊富な女性とヤレてラッキー」だと捉えられ、被害者と見なされにくいのでは、と、監督は本作品で問いかけているのです。性別の違いで色眼鏡をかけてはないか?と。

映画業界の告発(有名な映画プロデューサーのセクハラを告発したもの)で、広く世に知られるようになった「#MeToo(ミートゥー)」ムーブメントは、権力をもつ男性がその権力を盾に望まないことを強制させられた女性の被害者たちが声をあげた運動です。問題が日の目を見たことで、これから業界内では少しずつ変わっていくのでしょう。

そんなムーブメントがある一方で、ジェンダーが違う(男性である)ことで、権力を盾に望まないことを強制された男性の被害者たちは救済されにくいという事実があります。男女平等という意味合いの言葉に「ジェンダー・イコーリティー」というのがありますが、日本は121位(2019年12月現在)で先進国では圧倒的に最下位。一方、ノルウェー、フィンランド、スウェーデンはトップ5の順位にランクインされているジェンダー先進国で、ジェンダー先進国では、「女性=被害者」ではなく、「被害者はジェンダー(性別)に関係なく被害者だ」というテーマで映画が作られるという、一歩も二歩も進んでいると感じました。

日本語のタイトル『罪と女王』には、「圧倒的に力を持っている女性と、その女性が犯した罪」という意味が込められているのだと思います。本作品の配給の担当の方が、北欧映画は「人間の闇を真正面から描いてくる」と表現されていてなるほどと思ったのですが、冬は日照時間が短くて寒くて暗い冬が長いからなのでしょうか。これからも刈谷日劇では、一筋縄じゃいかない北欧映画、ご紹介していきたいと思います。