ボーダー 二つの世界
Gräns(英題:Border)
R18+
スクリーン 
11/29 - 12/5 (予定)
上映開始日:11/29
上映終了日:スケジュールで確認ください
スウェーデン、デンマーク
監督:アリ・アッバシ
エヴァ・メランデル、エーロ・ミロノフ
オフィシャルサイト
Meta_Spark&Karnfilm_AB_2018

ボーダー 二つの世界

映像のクオリティは高く、予想を(いい意味で)裏切られるような展開で、ストーリーもぐいぐい引き込まれるし、とにかくすごい世界観です。本作品を好きか嫌いかと聞かれれば、正直言って「好きな映画ではない」です。でも、観てよかったと思う作品でした。こんな世界観があるんだ、こんな映画もあるんだという衝撃がひとつ。もう1つは、本作が「好きじゃない」と思った理由について、観終わった後もしばらく考えさせられたからです。

本作品の主人公ティナは、国境の税関で働いています。ボーダーという英語は、国境という意味もありますが、それはボーダーが何かと何かの境界という意味があるから。国境は時代によって変わります。戦争などで別の国の領土となったり、内戦で1つの国だったものがいくつかの国に別れたりすると、国境も変わります。国境を含むボーダー(境界線)というのは、確かなようで「絶対的」ではないということだと思います。

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ティナの外見は醜いですが、心はとても優しい女性です。私はティナの外見は醜いと感じましたが、醜いと思った価値観は、どこからくるのでしょうか。大多数の人が美味しいと言っているけど美味しいとは限らないとか、評論家がいいと言っている映画だけどいいとは限らないとか、あの人が可愛いいと言ってるから間違いなくかわいいとは限らない、など価値観は人それぞれです。

「美しいと醜い」「善と悪」「同じか違うか」などは、人の価値観だけでなく、文化圏によっても違います。同じか違うか、なんてはっきりしていると思うかもしれませんが、例えば、虹の色は日本では7色ですが、欧米では6色です。(子供が太陽の絵の色を塗る際の一般的な色も、日本と欧米では違います。)(魚の大きさだけでなく味も違い、それぞれの名前で適する料理法があること、販売する際にも混乱しないようにするため)ワカシ、ハマチ、メジロ、ブリは同じ魚でも違う呼び方をしますが、英語では違いはありません(Yellowtailという言い方しかありません)。

同じように日本ではじゃがいもはじゃがいもですが、じゃがいもが重要な役割を占めるイギリスでは、煮たり蒸したり焼くのに適した種類のじゃがいも、マッシュポテトに適した種類のじゃがいも、揚げるのに適した種類のじゃがいもとそれぞれ違いがあります。脱線しましたが、つまり、「美しいと醜い」「善と悪」「同じか違うか」などの境界線も「絶対的」ではありません。

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ティナは人間社会で生きていて、とても人間的な心を持っていますが、ちょっと異質です。北欧の神話「トロル」がモデルだということですが、北欧の神話に馴染みがないので、日本でいうところの「鬼」に近いのかなと想像してみました。鬼は人間でありません。人間でないけれども、人の心を持つ鬼もいます。たとえば、見かけが鬼だというだけで鬼にひどい仕打ちをした人と、ひどい仕打ちをした人であっても困っていたら助ける鬼と、どちらがより人らしいのでしょうか。そう考えると、異質かどうかの境界線も「絶対的」ではなくなります。

人の本当の美しさは外見ではなく内面だ、自分と違っていたとしてもそれを受けいれられる心の広さは持っていたい、というのは簡単ですが、正直なところ受けつけないと思う気持ちもどこかにあって、本作品ではそんな心の矛盾の境界線(価値観?)を試された気分になりました。

この2つの世界を分ける境界線というテーマはものすごく深く、映画の世界だけでなく、私たちが生きているこの社会において、LGBTQ(セクシュアル・マイノリティ)問題、障害者問題、移民問題などにも繋がるものがあると思います。これらの社会問題の渦中にいる人たちのことを、自分とは違うからと切り捨てるのか、共感はできないけど理解しようとするのかでは、大きく違うと思います。

なぜ本作品が好きでなかったのかと考えると、そこに価値観の「ゆらぎ」があるのだと感じました。多様化が求められる現代社会では、このゆらぎを持つことが重要なのかもしれません。

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この顔を作り出すのに毎回時間をかけて特殊メイクを施したそうです。真ん中の写真はカンヌ映画祭での実際の俳優2人と監督。昨年のカンヌでは「ある視点部門」で最優秀作品賞を受賞しました。

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各国のポスター。右から2つ目の2人のラブシーンは、フランスのもの。日本では右端のものが使われていました。