天国にちがいない
It Must Be Heaven
G
上映開始日:4/16
上映終了日:5/6
フランス・カタール・ドイツ・カナダ・トルコ・パレスチナ合作
エリア・スレイマン
エリア・スレイマン、タリク・コプティ、アリ・スリマン、ガエル・ガルシア・ベルナル
オフィシャルサイト
2019 RECTANGLE PRODUCTIONS - PALLAS FILM - POSSIBLES MEDIA II - ZEYNO FILM - ZDF - TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION

天国にちがいない

独特の世界観で、映像がとても綺麗で、思わずクスッと笑ってしまう、こういう作品大好きです。

これぞ、単館系作品の極みと呼べるような作品です。好きな人にはたまらないはず。『わたしの叔父さん』もセリフ少ないですが、こちらは少ないというよりほとんどなく、どういう状況なのかわからない中ストーリーは進みますが、ひとつのシークエンス(つながっているシーンひとくくり)と次のシークエンスは、つながっていないようで、作品全体を通して見ると、あるひとつのテーマに沿っているんです。

深掘りしなくても楽しめると思いますが、パレスチナのことを知ってから見ると、少し見方が変わるかもしれないので、パレスチナの置かれている状況を説明します。



パレスチナとイスラエルの問題は、旧約聖書の時代に遡ります。旧約聖書によると「ペリシテ人」という人たちが、紀元前13世紀ごろにおいて製鉄技術をもちカナンの地(現在のイスラエル)に住んでいました。パレスチナというのは「ペリシテ人の地」という意味だそうです。その後、ヘブライ人(ユダヤ人の先祖)がやってきて、イスラエル王国やユダ王国が成立しますが、紀元前6〜8世紀に、アッシリアや新バビロニアに滅ぼされます。この頃から、ユダヤ人は世界に散らばり、故国を持たない民族となります。

ちなみに紀元前はBCと書きますが、これはBefore Christ の略で「キリスト以前」という意味になりますが、実際はキリストは西暦0年に生まれたのではなくBC数年に生まれたとされています。キリストは今のイスラエル下のパレスチナの「ベツレヘム」で生まれます。キリストの父のヨセフはナザレに住んでいて、当時のユダヤ人では一般的な名前だったイエスは「ナザレのイエス(ナザレのイエスさん)」と呼ばれていました。

おわかりでしょうか。イスラエルは、この時(西暦0年前後)までにすでにパレスチナ人の祖先の地であり、ユダヤ人の祖先の地となり、欧米の基盤となるイエス・キリストが生まれ育ち活動した地となるわけです。

そして、ユダヤ人が支配している時期もありますが、西暦2世紀頃にはローマ帝国に鎮圧され、キリスト教はローマ帝国を経てヨーロッパに広がっていきます。中世までローマ帝国が支配することになりますが、7世紀にイスラム教国家の支配下となります。11世紀には十字軍によりエルサレムが占領され、キリスト教のエルサレム王国が成立されますが、13世紀末には再びイスラム教国家により滅亡されます。

はい、ここまでの紀元後千数百年の間を見ても、またキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒が戦っている構図、お分かりでしょうか。

ついでにイスラエルの都市「エルサレム」は、イスラム教徒にとっては教祖ムハンマドが天へと昇った地(その地を取り囲んでいるモスク「岩のドーム」)があり、ユダヤ教徒にとっては神からの与えられた土地で神殿があった場所(その跡地が「嘆きの壁」)であり、キリスト教徒にとっては、キリストが十字架を背負って歩き磔にされたゴルゴダの丘やキリストの墓があったとされる教会があり、3つの宗教にとってとても聖なる地なのです。



19世紀からシオニズム運動(ユダヤ人の祖国への帰還と、ユダヤ人国家の成立を目指す運動)が起こり、イスラム国であったオスマン帝国が破られ、第一次世界大戦時にイギリスが(アラブとユダヤの)どっちにも都合のいいこと(どちらかともの約束は果たせない矛盾した内容の)「三枚舌外交」により、現在のイスラエルがユダヤ人とアラブ人の両者の地となり、その後の第二次世界大戦のナチスによるホロコーストを経て、1948年5月14日にイスラエル独立宣言が出されます。この時、ガザとウエストバンク(ヨルダン川西岸地区)が、「パレスチナ」となりました。

この時に、今のイスラエルに住んでいたパレスチナ人(アラブ人)は、イスラエルの外に出るか(→ガザやウエストバンクに閉じ込めれるか、ヨルダンなどの近隣国でパレスチナ難民となった)、イスラエルに留まりイスラエルの市民権をとなるか(→エリア・スレイマン監督の両親の世代だと思いますが、パレスチナ系イスラエル人となるか)の2択を迫られました。

ガザやウエストバンクは、イスラエルとの境をグルリと壁で隔たれていて、ここに住む人たちは自由にイスラエルを移動できません。ガザとウエストバンク(ヨルダン川西岸地区)は、間にイスラエルがあるため、ガザからウエストバンクに入るにはイスラエルを通過しなければ行けないのですが、イスラエル国内を通行するのに許可書が必要で、その許可証を取るのもとてもとでとても大変らしいと聞きました。同じパレスチナ人でも、住んでいる地域やいつ市民権を取ったかで、イスラエル内での権利が違うのだそうです。

パレスチナ人が住むのはガザとウエストバンクだけでなく他にもあります。本作品のエリア・スレイマン監督の出身地ナザレは、パレスチナ地区ではなくイスラエル国内にあります。複雑なことに、パレスチナ人の全てがイスラム教ではなく、キリスト教信者のパレスチナ人もいます。特にベツレヘムやナザレなどキリスト教に由来する地にいるパレスチナ人などです。(冒頭のシークエンスに表れていますね)

ガザやウエストバンクに住むパレスチナ人は、パレスチナ人の隣人たちとパレスチナ人による自治の中で生活していますが、イスラエルに周りを囲まれ自由に外との交流を図れず、物資も限られていたりと不自由な生活を強いられています。

一方、ナザレを含むパレスチナ地域ではないイスラエルの地に住むパレスチナ人は、イスラエル国内も自由に移動でき、外国にもイスラエルのパスポートで行くことができて自由はありますが、パレスチナ人としてのアイデンティティは押し殺されていることでしょう。

ここから下は、私の解釈を書いているので、見る前にネタバレされたくない方は、これから下は読まずに、作品をご覧になってからお読みください。 ↓



ここから下は、私の解釈を書いているので、見る前にネタバレされたくない方は、これから下は読まずに、作品をご覧になってからお読みください。









一般に「パレスチナ問題」というと、この中でもガザに住んでいる制圧されているパレスチナ人たちによるゲリラ的なテロを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。それと同時にエリア・スレイマン監督のような状況のパレスチナ問題もあるということは、世界で無視され続けています。(だから、多分本作のような映画をパリで提案すると「パレスチナ的ではない」と一瞥されます)

監督は、本作品によって「世界をパレスチナの縮図として提示しようとしている」のだと語っていました。それは、つまり個人主義の行き過ぎた結果としてのパリや、銃でフル装備している「自由」が行き過ぎた結果としてのニューヨークだったりして、ユーモラスに監督の目を通してデフォルメされていますが、要は問題は問題だけれど、外から来た人にとっては異常に映ることであっても、そこに住む人たちにとっては日常だ、ということではないかと思うのです。逆に捉えると、日常だと思われることも、外の人から見たら異常で、そこには問題が山積みとなっているのは、パレスチナに限らずどこの都市も同じ、なのかもしれません。

それが、シークエンスごとに、クスッと笑える逸話を盛り込みながら、美しいシーンの一連で描かれた『天国にちがいない』、パレスチナ問題を知らなくても、映像だけで楽しめます。そういえば、『モーターサイクル・ダイアリー』で若き日のチェ・ゲバラを演じたガエル・ガルシア・ベルナルが本人役でちょこっと出演しています。

主演も監督自身ですが、監督が話すことは2言だけ。それが、本当の意味でのこの作品のタイトルなのかもしれません。