マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”
Martin Margiela: In His Own Words
G
ドイツ・ベルギー合作
ライナー・ホルツェマー
(声の出演)マルタン・マルジェラ、ジャン=ポール・ゴルチエ 、カリーヌ・ロワトフェルド、カルラ・ソッツァーニ
オフィシャルサイト
2019 Reiner Holzemer Film - RTBF - Aminata Productions


マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”

2年前のマルジェラのドキュメンタリー『マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”』は、マルジェラに関わった人たち(しかもかなり近くにいた人たち)が、マルジェラについて語るものでしたが、今回はマルジェラ自身が語っています。



相変わらず、マルジェラ自身は写っていませんが、これまでインタビューは書面のみだったことを考えると、彼自身の声でマルジェラのことが語られる、というのはものすごく貴重なものだということです。インタビューは(ベルギー生まれでフランス語話者だと思われるのに)全部英語で答えていました。全くメディアに出ていなかったのに、どういう心境の変化で本作に(声だけですが)出演したのか、などは語られていませんでした。

前回のドキュメンタリーとの違いはやっぱり本人が出演しているところで、それは子供の頃に洋服をデザインしたスケッチブックや、バービー人形のお洋服など、マルジェラ本人(のお母さんから)提供されたものなど、マルタン・マルジェラのルーツとなるようなものがみれたところなどに顕著で、ミステリアスなマルジェラが少しだけ身近になった気もしました。ファッション・デザイナーになりたいと願った小さい頃から、立ち上げた自身のブランドを立ち去るまで、そして今の心境など、タイトルの通り『マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”』そのものです。



下記は、2年前のドキュメンタリー『We Margiela マルジェラと私たち』のレビューです。(ホームページの現在のデザインを変える前に書いたものなので、アーカイブがないので、こちらに記載しておきます。刈谷日劇のインスタを遡れば見れます。)



ーーーーーーーーー We Margiela マルジェラと私たち ーーーーーーーーー

6月7日より、刈谷日劇にて『We Margiela マルジェラと私たち』を上映します。

主に1990年代に活躍したベルギー出身のファッションデザイナー、マルタン・マルジェラのドキュメンタリーです。(メゾン・マルジェラというブランドではなく)マルタン・マルジェラのことをご存知の方は、ヘタな解説など無用だと思うので、レビューなど読まずにそのままドキュメンタリーをお楽しみください。

1990年代のファッション業界の流れや、マルジェラのことをあまりご存知でない方は、マルジェラが活躍した90年代のファッション業界がどういう流れだったのかなどを少し知っておくと、より楽しめるのではないかと思います。

マルジェラがブランドを設立したのは80年代後期。80年代のファッションは、パーマーで大きく見せたヘアースタイル、肩パッド、ダボダボの服、ネオンカラー、ジャラジャラアクセサリーなどに代表される派手でポップなスタイルが流行っていました。

90年代のパリやロンドンで行われるコレクション(ファッションショー)は、豪華な会場で有名なスーパーモデルを起用し、観客席の最前列は有名人たち、というのがトレンドでした。そんな中、マルジェラのショーは、会場もモデルもメイクアップも服も、全てにおいてとても型破りでした。

モデルを美しくみせるためのメイクアップではなく、モデルの個性を消して服を際立たせるために頭全体を布で覆ったり、スーパーモデルがもてはやされていた時代に無名のモデルしか起用しなかったり、当時の流行とは全く逆方向に向かった服を提案するコレクション(ショー)を展開しました。

90年中期にニューヨークの「Charivari(シャリバリ)」というセレクトショップで、マルジェラの服を手にとってみたときの衝撃は今でもよく覚えています。服は変わった素材や形で、80年代の大きく見せるダブダブの服の名残は全くなく、細身でシンプルで変わっていてミニマルでした。安っぽくみえるけど、値段は高い。そして、安っぽいように見える服なのに、着るとすごくすごくかっこいいんです。

それよりもびっくりしたのは、タグです。(今はカレンダータグと呼ばれる数字だけが羅列しているタグですが、当時の全ての)マルジェラのタグは、マルジェラの名前すらなく、素朴な真っ白なタグが(心許なさげに)すぐに取れそうな感じで4隅で留められていました。

白の無名のタグがマルジェラのものだと知っていても、ブランド名を主張していないタグに、当時のブランドやファッションに対しての概念を覆すような衝撃を受けました。

ブランドの服の価格は、もちろん素材やデザインの良さもありますが、ブランド名という付加価値に対して払っているところも多大にあり、そのブランド名がある故に、着る人の満足度が上がることもあります。そういう意味では、どこのブランドなのかを主張する「タグ」は、とても意味のあるものだと思っていたのを、マルジェラはあっさり捨てたようにみえました。

でもタグは、マルジェラのファッションに対する哲学の一つでしかありません。なぜマルジェラが、ファッション業界に多大な影響を与えたデザイナーの一人だと称されるのか、このドキュメンタリーを見るとわかるのではないでしょうか。

ドキュメンタリーは、マルジェラに関わった人たちにインタビューするという手法で、マルジェラの世界観を映し出します。ドキュメンタリーでは、時系列などあまり詳しく説明されないので補足しておきます。インタビューは主に1980年代後半にブランドが立ち上げられてからの、主にブランドのsyきの時代の10年から15年くらいの間にマルジェラに関わった人たちに対してのものです。

「デストロイ(破壊的な)・コレクション」と呼ばれ反モード的なデザインだったのに、1990年代後半からは矛盾していますがエルメスのデザイナーになります。(その辺りは詳しく語られません)その後、美術館などで展示するプロジェクトのことは語られますが、最終的にマルジェラが自身のブランドのデザインもやらなくなる後半の流れは、ほとんど語られません。

なぜなら、そこはもう進化した先でしかなく、このドキュメンタリーで解き明かされるのは、初期のマルジェラが当時のモードに与えた影響と、それを成し遂げたマルタン・マルジェラのファッションに対する哲学と世界観。その哲学と世界観を支え実現させたマルジェラのチーム「We」。

なぜ白なのか、なぜあのタグなのか、どうやって生まれたのか、なぜ無名のモデルなのか、なぜ「デストロイ(破壊)コレクション」と呼ばれるようになったのか、なぜマルジェラは姿を見せないのか、なぜ熱烈なフォロワーがいるのか、そして、どうして「We(私たち)」なのか。ファッションに興味がある方は、かなり興味深く感じるドキュメンタリーだと思います。