ジュディ 虹の彼方に
Judy
G
イギリス
ルパート・グールド
レネー・ゼルウィガー、ルーファス・シーウェル、マイケル・ガンボン、フィン・ウィットロック
オフィシャルサイト
Pathe Productions Limited and British Broadcasting Corporation 2019

ジュディ 虹の彼方に

ハリウッド黄金期の裏側で、才能に生かされ、才能に苦しみ、それでも決してステージを諦めなかった伝説のミュージカル女優・ジュディ・ガーランド。47歳で散るその前に人生のすべてを込めた圧巻のパフォーマンスに全世界が慟哭!

2019年9月10日、第44回トロント国際映画祭の上映会場は、主演女優が感激の涙を流しながら、「OK、もうやめて!」と止めるまで、熱烈なスタンディングオベーションが続くという異例の興奮に包まれていた。さらに、その映画が9月27日からアメリカで限定公開されるや、上映館数がひとケタ多い作品群と肩を並べ、全米ランキングでベスト10入りを果たすというヒットを達成した。こうして、たちまち本年度の賞レースの大本命に躍り出たのが、伝説のミュージカル女優ジュディ・ガーランドが、何があっても最後までステージに魂を捧げ続けた日々を描いた『ジュディ 虹の彼方に』である。

1939年、ハリウッド黄金期を象徴する映画『オズの魔法使』の主人公ドロシー役に大抜擢されたジュディは、17歳にして一躍スターダムを駆け上がる。だが、華麗なるキャリアのスタートは、波乱万丈の人生の幕開けでもあった。まだ幼い頃から、スレンダーな体形をキープし、何時間も眠らずに働けるようにと、映画スタジオから薬漬けにされていたジュディは、彼女を支配下に置くための様々なハラスメントも受けていた。



その結果、不朽の名作『スタア誕生』で1955年にアカデミー賞®主演女優賞にノミネートされるなどの栄光と、不眠症や不安神経症に悩まされ入退院を繰り返すという闇を、幾度となく往復していたのだ。

そんなジュディが、47歳の若さで亡くなる半年前、1968年の冬に行われたロンドン公演の日々が今、明かされる。まるで命を燃やし尽くすようだったと証言される、ミュージカル史上最高峰の女優の最後のショーの全貌とは? 人の心にまっすぐに届く歌声とエモーショナルなパフォーマンスで、欧米を中心に数多くのファンから愛され続けているジュディが、没後50周年を迎えて、いよいよ日本にも熱い旋風を巻き起こす!



かつてはミュージカル映画の大スターとしてハリウッドに君臨していたジュディ・ガーランドが、窮地に立たされていた。1968年、度重なる遅刻や無断欠勤のせいで映画出演のオファーも途絶え、今では巡業ショーで生計を立てているのだが、住む家もなく借金は膨らむばかり。まだ幼い娘と息子をやむなく元夫に預けたジュディは、ロンドンのクラブに出演するために独り旅立つ。英国での人気は今も健在だったが、いざ初日を迎えると、プレッシャーから「歌えない」と逃げ出そうとするジュディ。だが、一歩ステージに上がると、たちまち一流エンタテイナーと化して観客を魅了する。ショーは大盛況でメディアの評判も上々で、新しい恋とも巡り会い、明るい未来に心躍るジュディ。だが、子供たちの心が離れていく恐れと、全存在を歌に込める疲労から追い詰められ、ついには舞台でも失態を犯してしまう──。

厳しいレッスンの末、全曲を自ら歌いあげてジュディ役に持てる全才能を注ぎ込んだのは、『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズで女性からの絶大な支持を獲得し、『コールド マウンテン』でアカデミー賞Rを受賞したレネー・ゼルウィガー。ワガママでお騒がせな存在だが、孤独を抱えた愛すべき女性でもあり、スポットライトの下では圧倒的なカリスマ性を放つジュディの魂を確実に自分のものとした。どんなスターでも演技派でも30~40代になると、演じる役がなくなってしまうのが、ハリウッド女優の悩みだ。レネーはその困難を乗り越えて、ジュディと同じ年齢で最高の当たり役を獲得し、アカデミー賞 最優秀主演女優賞受賞。