L.A.コールドケース
City of Lies
G
アメリカ・イギリス合作
ブラッド・ファーマン
ジョニー・デップ、フォレスト・ウィテカー、トビー・ハス、デイトン・キャリー
オフィシャルサイト
2018 Good Films Enterprises, LLC.


L.A.コールドケース

ジョニー・デップ、大好きな俳優だったのに、アンバーハートと結婚した辺りから、(独自の生態系を守るために厳しい入国手続きがある)オーストラリアに自家用飛行機で申告なしに犬を連れ込んだのがバレた時とか、離婚のゴタゴタと裁判泥沼合戦とかで、残念なイメージの俳優になってしまい、、、本作も警戒しながら、観ました。

結論から言うと、残念な感じがいい意味で作用している役どころで、哀愁漂っていながら、芯の強さが滲み出て、とうの昔になくしたであろう情熱を奥に秘めているくたびれた中年になったけど、いい役者だなぁと改めて思わせてくれる演技力の高さ。おかえり、ジョニー。

MIRAMAXのロゴを久しぶりに観ました。90年代、(メジャーどころが扱わないインディペンデントな映画を配給したり、製作していたので)MIRAMAX作品っていうだけで作品観ちゃう(今ならA24が同じ感じの)信用度高い製作会社で10大映画会社の一つと呼ばれるくらいビッグになったのに、創始者が(映画界のMeTooムーブメントの矛先となったハーヴェイ・ワインスタインとその兄弟)と会社のゴタゴタ、さらには女優にひどいセクハラしてたことなどで残念な製作会社になっていたのに、今回はがんばった。これからも、がんばって欲しい。ので、おかえり、MIRAMAX。

作品のストーリーとあまり関係ない話ばかりしてしまいました。さて、本作。ヒップホップ好き(特に90年代)が好きな方には、ジョニー・デップであろうがなかろうが、懐かしい気持ちや、その後どうなっているのかのおさらいとして楽しめます。私は90年代アメリカに住んでいたので、そこまでヒップホップに詳しくない私でも、知っているラッパーたちでした。90年代前半のアメリカ西海岸で起きた事件やその頃のヒップホップを詳しくない方は、(作品の中では知っていて当然的にあまり説明されないので)少し前知識入れていた方がスッと入ってくると思います。



<ロサンゼルス暴動>
1992年ロサンゼルスで起きた、2年前の「Black Lives Matter」のような出来事。(当時20代だったロドニー・キングという黒人男性が、交通違反で警察に捕まった際に白人とラテン系の警官4人から殴ったり蹴ったりの暴行を受けた内容がテレビで放映されたことから、激しい抗議運動となりさらには暴動まで発展した。BLMのきっかけとなったジョージ・フロイド氏と違って、キング氏は殺されてはいない)

それまでも多くの同じような事件はあっても、立場の弱い黒人社会の声は世間に広がらなかったけれど、この時は事件現場の隣人がハンディカムで撮影をしていて、それが全米のネットワークニュースで事件が放送されたことから抗議運動が広がりました。最初の警察による暴行が1991年、暴動が起きたのが1992年です。

<OJシンプソン事件>
有名なアメリカンフッドボールの選手だったOJシンプソンが、元妻とその恋人を殺したとされる事件。警察から車で逃走する様子が生放送でテレビで中継され(逃走が数時間に及び、しかもヘリコプターから中継でその様子を追っていて、逮捕の瞬間まで生放送)、裁判の様子もテレビ中継されました。

その裁判の判決の瞬間、全米でほとんどの人が(電気屋さんのテレビなど含め)どこかしらでテレビを観たと言われるくらい全米で注目されたのですが、誰がどう見てもOJシンプソンが二人を殺したのに無罪という判決でした。(いつも忙しいニューヨークでも、一瞬街から人がいなくなりテレビの周りに群がっている様子がニューヨークの地元テレビでニュースとなっていました。)

無罪となったきっかけ、というか裁判で論議された内容が殺人よりも人種問題で、OJシンプソン逮捕時の警察官が人種差別者であると証明することで、どう見てもOJシンプソンが殺したという証拠になるはずのものが証拠として認められない、など殺人事件を人権問題に差し替えて勝ち取った勝利でした。(その後、民事裁判では敗訴します)

事件が起きたのが1994年、判決が1995年のこと。この時の弁護団のメインの弁護士がコクラン。(←ここ、試験に出ます)

ロサンゼルス暴動の発端となった白人警察官には「黒人=犯罪者」という偏見がある、という認識がこの事件にも大きく影響を与えたと思います。

作品内で何度か出てくるセリフ「白人が黒人を射殺、どちらに非が?(A white guy shoots and kills a black guy. Whoes it fault?)というのは、90年代の人種問題のことを知らないと、ちょっとついていけないところがあると思います。



<2パック>
アメリカのヒップホップシーンやその後出てくるラッパーたちに多大な影響を与えたニューヨーク出身のラッパー、トゥパック。

1996年9月、ラスベガスでマイク・タイソンの試合を観戦後、銃撃に倒れます。(25歳でなくなり、活動期間は5年間でした)

(ニューヨーク出身ですが、いろいろあって)西海岸で活動します。この頃、2パックたちと一緒に活動していたラッパーには、スヌープ・ドギー・ドッグやDrドレー(ヘッドフォンのビーツ作った人)たちがいて、90年中盤に所属していたレコードレーベルが「デス・ロウ・レコード」シュグ・ナイトという人が作ったレーベルです。(レーベルの名前と創設者の名前は要チェック!)

<ノトーリアスB.I.G>(←ノトーリアスビッグではなく、ノトーリアス・ビー・アイ・ジーと読見ます。)
 本名 クリストファー・ウォレス ニックネームがビギー・スモールズ(←この3つの呼び方、しっかりと覚えておきましょう。)

ショーン・コムズ(パフダディ)を中心としたバッド・ボーイ・エンターテインメント(レーベル)の代表的なラッパー。デビューアルバムはミリオンセラー。セカンドアルバムのリリース前に撃たれて亡くなります。

1995年頃から、西海岸のデスロウと東海岸のバットボーイズは、(音楽的にもラップ業界の地位的にもラッパー同士のいがみ合い的にも)対立します。

1997年3月、ロサンゼルスで行われたヒップホップ雑誌のパーティの後、銃撃により死亡。(享年24歳)



2パックの事件も、ビギーの事件も、当時は東と西の抗争によるものだという噂が広がりましたが、結局解決していません。「LA」という邦題は、未解決事件(コールドケースと呼ばれる)からきているのでしょうが、原題は、City Of Lies(嘘の街)。ロサンゼルスが「City Of Angels(天使の街)」と呼ばれることに対してのタイトルとなっています。